Appassionato
アッパッスィオナート
熱情的に(な)、感情豊かに(な)
深い情熱によって心までが揺さぶられた状態が、アッパッスィオナート。
理性では止められないほどの強い心の衝動が働いている状態。
「情熱をかきたてる」「感動させる」を意味する原形動詞アッパッスィオナーレ (appassionare) の過去分詞形。
- コンサートが聴衆をアッパッスィオナーレする → 皆が魅了された感動的なコンサートだった。
- 火災が人々をアッパッスィオナーレした → 不運な火災によってみんなが悲しみに巻き込まれた。
どちらも決して心が晴れわたった状態ではない。
心が掻き乱されるほどの強い衝撃が加わり、心のコントロールが効かず、衝動的になっている。
演奏の際は、冷静にサラッと弾いたり、歌ったりしてはダメ。
気持ちの麺では我を忘れて、一心不乱に情熱を持って演奏する。
con passione
コン・パッスィオーネ
情熱的に
アッパッスィオナートと共通のイメージ、微妙な違いについてはイタリア人もお手上げ・・・という感じの言葉。
キリストが最後の晩餐のあと、十字架にかけられるまでの数々の受難の話を「パッスィオーネ」と言うため、イタリア人がパッスィオーネという言葉を聞くと、身体的・精神的な苦痛を真っ先に思い浮かべる。
キリスト教国イタリアで、苦痛の意味する物は、この受難である。
バッハも「マタイ受難曲」「ヨハネ受難曲」を残し、その苦痛を音楽に留めた。
パッスィオーネが精神的苦痛を表す場合、それは「和らげる事の出来ない苦痛」を意味する。
パッスィオーネのもうひとつの側面はアッパッスィオナートと同じ「情熱的な」と言う意味、人でも「パッション (passion) 」と言われる。
アッパッスィオナートに、自分から進んで積極的に何かに関わる姿勢があるとすれば、パッスィオーネには、自然に生まれ持っていた意識が根底にあるように思われる。
人の興味の対象は様々であるが「料理に対しコン・パッスィオーネ」と言うと「料理が大好き、とても興味がある。」と言う意味になる。
強い興味に違いはないが、心が掻き乱されて不幸が生まれると言うほどの情熱には至らない。
Giocoso
ジョコーソ
陽気に(な)、おどけて(た)、楽しげに(な)
ジョコーソはスケルツォーソ同様、滑稽さを表す言葉であるが、スケルツォーソはむ「気まぐれさ」、ジョコーソは「戯れる楽しさ」と言う感覚の違いがある。
- ジョコーソなオペラ → 喜劇的なオペラ
ジョコーソは英語の Play と同じ「遊ぶ」と言う意味の原形動詞ジョカーレ (giocare) から派生した言葉。
- テニスをジョカーレ
- サッカーをジョカーレ
- トランプをジョカーレ
ちなみに、ジョカットロ (giocattolo) とは「おもちゃ」のこと。
語源はラテン語のヨコースム (iocosum) でヨークス (iocus) から来ている。
これは「冗談」を意味しているが、本来は「遊ぶこと」と理解する方が正しい。
演奏の際には、心からにじみ出てくる明るい雰囲気、体で感じる軽快なリズム感、ジョコーソは頭で考えてもダメ。
ジョコーソも良くない意味で使われる場合がある。
「遊ぶ」と言う言葉の中に「もてあそぶ」と言う意味が発生する。
A che gioco giochiamo? (ア ケ ジヨーコ ジョアキアーモ)
「お前は何の遊び(プレイ)をしているんだ」と言う表現をすると、「俺を馬鹿にしてるのか」「冗談じゃないぞ、馬鹿にするな!」と言う意味となる。
「あの人たちは君たちを簡単にジョコーソする」というと「いとも簡単にもてあそばれる」と言う意味となる。
Amoroso / Amabile
アモローソ/マービレ
やさしい、かわいらしい/やさしい(く)、愛情豊かな(に)
アモローソは恋愛感情が伴い、恋人関係を結んだ深い愛情を表す。
アマービレの原形動詞は「愛する」を意味するアマーレ (amare) 。
これに「~されるような」と言う意味の接尾語、 -bille が付いた形。
自分から行動を起こすのではなく、相手が自分の事を愛してくれるのを待つ、そして結果的に愛されるようになると言うニュアンス。
アモローソの持つ情熱はそこにはない。
アマービレが自分からは進んであまり愛情を示す事がないのに対し、アモローソはより深い情愛にはまり込んだ状態。
単にに「好き」と言う事だけではなく、男女がもっと深い愛の谷間に落ち込んでいると言う直接的な感覚。
アモローソ
カセッラ パガニニアーナ「ロマンス」 作品65―3
アマービレ
ブラームス ヴァイオリン・ソナタ 第2番 作品78 第1楽章
Capriccioso
カプリッショーソ
気まぐれに、気のおもむくままに
「気まぐれに、気ままに」で、気分がすぐに変わる事を意味する。
- 「コーヒーにしようかな?ジュースにしようかな?それとも・・・やっぱり・・・。」
- カプリッチョーソな子 → 「ママあれ買ってぇ・・・。」と駄々をこねる
- 車がカプリッチョする → 車が突然動かなくなる
- カプリッチョーソな車 → 何が起こるか分からない車の事
カプリッチョーソの名詞形はカプリッチョ (capriccio) 、「少し変わったことをすること」を意味する。
髪の毛を緑色に染めたり、どうしても欲しい物を無理に要求する場合に使われる。
あまり良い意味では使われないが、その一方で「奇抜な」「奇想天外な」「規則にとらわれない」「予想外の」と言う肯定的な意味合いも含まれている。
音楽の表現になるときわめてファンタスティックなひらめきを感じさせる表現方法となる。
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- 規則にとらわれないカプリッチョな転調
- カプリッチョーソな強弱
カプリッチョーソな表現は音楽に変化をつけ、躍動感を生み出す。
そこにはファンタジーが生まれ、多彩な演奏表現の世界が生まれる。
いい加減に来間に、気の向くままに演奏するという事ではなく、もっといい意味での変化を表す。
ハッとさせるような響き、音色の変化、表情の変化がめまぐるしく自由に展開されるのがカプリッチョーソ。
しかし、ミスを連発したときなどは「カプリッチョをたくさんやりましたね!!」などと皮肉られるかもれれない。
パガニーニ 24の奇想曲(カプリッチョ) 作品1
Comodo
コーモド
気軽に(な)、ほどよく
コーモドはそれほど多くは使われないかも知れないが、バイエルのピアノ教則本の中にある。
一般的には「便利に」「適当に」「気楽に」と訳されている。
ニュアンスとして、まずは「快適な気分」である事がポイント。
- 動きやすい洋服 → コーモドな洋服
- ノンぶりと動作する → コーモドに動く
- 苦労のない楽な人生 → コーモドな人生
- 適当な時間にゆっくり来てね → 「コーモド出来てね。」
語源はラテン語のコッモードゥス (commodus) 。
com は現在の con で with と同義、modus は「計測する」。
いわば「適当な尺度を持っている。」と言うところ。
「あいつは自分のコーモドばかりを考えている。」と言うと、「自分のコーモド(=都合)だけ考えている。」と言う否定的な言い回しになる。
音楽上では中庸な速度で、リラックスした快適な雰囲気をイメージする。
強くも弱くもなく、速くも遅くもない。
但し、自分勝手なコーモドになってはいけない。
そうでないと、相手は気持ちよくコーモドになれず、反対に不快感を覚えてしまう。
聴く側にコーモドな雰囲気を伝えられて、みんながハッピーになったら素晴らしい。
ドメニコ・スカルラッティ ピアノソナタ K380
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