大津波のあとに/槌音 (日本)

今日もシネマイーラへ。
今日の映画は「大津波のあとに/槌音。
2011年3月11日に発生した、東日本大震災のドキュメント映画である。
上映後、「大津波の後に」の森元修一監督の舞台挨拶があった。

大津波のあとに/槌音 リーフレット 表
大津波のあとに/槌音 リーフレット 裏

大津波のあとに

スタッフ
監督 森元修一
協力 秋澤玲央 、 早川春菜 、 藤代和子

作品データ
製作年 2011年
製作国 日本
上映時間 74分

槌音

スタッフ
監督 大久保愉伊

作品データ
製作年 2011年
製作国 日本
上映時間 23分

大津波のあとに

東日本大震災の2週間後の宮城県の仙台、東松原、石巻の街と人々の姿をとらえたドキュメンタリー。
特に、児童108人中74人が津波にのまれてしまった石巻市大川小学校を中心に描く。
監督は、フリーの助監督として小林政広などの作品に参加している森元修一。
山形国際ドキュメンタリー映画祭2011公式上映作品。

2011年3月11日、東日本大震災が発生した。
その2週間後、監督の森元修一は宮城県の仙台、東松島を経由して、知人のいる石巻に入り、街とそこに生きる人々の姿を映像に刻みつけた。
なかでも、児童108人中74人が津波の犠牲にのまれてしまった石巻市大川小学校を中心に描いていく。

槌音

2011年3月11日の東日本大震災により故郷の岩手県大槌町が被災し、家族も被害を受けた監督が、東京に持って来ていたために津波で流されることを免れた震災前の貴重な映像を編み込み綴った、鎮魂の映像詩。
監督は、「海に来れ 若人狂想曲」の大久保愉伊。
山形国際ドキュメンタリー映画祭2011公式上映作品。

2011年3月11日に発生した東日本大震災で、故郷の岩手県大槌町が被災した監督の大久保愉伊は、家族も被害に見舞われた。
しかし、震災前の故郷を撮影した映像は、東京に持っていっていたために津波に流されずに済んだ。
その貴重な映像を編み込み、鎮魂の映像詩を綴っていく。

「大津波のあとに/槌音
「大津波のあとに/槌音
「大津波のあとに/槌音
「大津波のあとに/槌音

冒頭に登場していた人がこんな事をおっしゃっていたこと。
「川向こうの人は何も知らなくて、こっちに来て、驚いている。」

地震もご家族を亡くされた女性が、「もし、どこかで同じ事が起きたら、『必ず出かけて手助けしようね。』と思うんです。今は阪神大震災の被害にあった人が来てくれていて、とても助かっています。私たちも実際に震災を体験しているから、どの時点で何が必要か分かるんです。」
被災から、10日くらいしか経過していないのに、こんな発言が出来ることに驚いた。

水くみをしている年配男性が、「みんな、上から眺めてヒドイヒドイと言うだけだ。県知事も市長も長靴はいてここを歩いて見ろ、安全な避難所だけ回って握手して・・・。」

小学校の卒業式で先生が・・・。
「みんなが二十歳になった3月11日、午後2時46分、どこにいてもこの学校に集まって下さい。それまで生きていて下さい。これが先生からの最後の宿題です。」

他にも数々の方のインタビューが映し出される。
中には「まだ、取材にお答えできる状況では・・・。」と答える方も。

ただ、インタビューに答えた方の殆どが取材後「ありがとうございます。」と森元監督に言う。
なぜだろう、自然災害とは言え、こんな理不尽な目に遭っているのに感謝の念を忘れずにいられるものなのだろうか?

映画を観ていて,ずっと思っていたこと。
自分のような被災地のことを全く知らない人間が、「被災地のために・・・。」なんて言っていいものだろうか?
自分も川向こうの人であり、上から眺めているだけではないか、だからそんなこと言うべきではないのではないか。
だまって募金をしていればよいのではないか?(これくらいしかできることが思い浮かばない。)

だが、上映後の森元監督の挨拶を聞いて、「やはり小さな事でも出来ることをすべきなのだ。」と思った。
こんな映画がある、こんな音楽がある、出来る事をしていこう。

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