ベニスに死す (伊・仏 Death in Venice)

午後から浜松シネマイーラで映画鑑賞。
今日の映画は「ベニスに死す」。
お腹がいっぱいだったせいか、ウトウト眠ってしまいそうになるのをこらえながら、最後まで無事鑑賞した。

ベニスに死す 表
ベニスに死す 裏

スタッフ
監督 ルキノ・ヴィスコンティ
脚色 ルキノ・ヴィスコンティ 、 ニコラ・バダルッコ
原作 トーマス・マン
製作総指揮 マリオ・ガッロ
製作 ルキノ・ヴィスコンティ
撮影 パスカリーノ・デ・サンティス
音楽 グスタフ・マーラー
編集 ルッジェーロ・マストロヤンニ
衣装(デザイン) ピエロ・トージ
字幕監修 高瀬鎮夫

作品データ
原題 Death in Venice
製作年 1971年
製作国 イタリア フランス
配給 ワーナー・ブラザース
上映時間 131分

キャスト
Aschenbach ダーク・ボガード
The Mother シルヴァーナ・マンガーノ
Tadzio ビヨルン・アンデルセン
Hotel Manager ロモロ・ヴァッリ
Alfred マーク・バーンズ
The Governess ノラ・リッチー
Mrs.Aschenbach マリサ・ベレンソン
Esmerelda Carol Andre

1911年のヴェニス(ヴェネチア)。
グスタフ・アシェンバッハ(ダーク・ボガード)は休暇をとって、ひとりこの水の都へきたドイツ有数の作曲家・指揮者である。
蒸気船やゴンドラの上で、さんざん不愉快な思いをしたアシェンバッハは避暑地、リドに着くと、すぐさまホテルに部屋をとった。
サロンには世界各国からの観光客があつまっていた。
アシェンバッハは、ポーランド人の家族にふと目をやった。
母親(シルヴァーナ・マンガーノ)と三人の娘と家庭教師、そして、母親の隣りに座った一人の少年タジオ(ビヨルン・アンデルセン)にアシェンバッハの目は奪われた。
すき通るような美貌と、なよやかな肢体、まるでギリシャの彫像を思わせるタジオに、アシェンバッハの胸はふるえた。
その時からアシェンバッハの魂は完全にタジオの虜になってしまった。
北アフリカから吹きよせる砂まじりの熱風シロッロによってヴェニスの空は鉛色によどみ、避暑にきたはずのアシェンバッハの心は沈みがちで、しかも過去の忌わしい事を思い出し、一層憂鬱な気分に落ち込んでいった。
ますます募るタジオへの異常な憧憬と、相変らず、重苦しい天候に耐え切れなくなったアシェンバッハは、ホテルを引き払おうと決意した。
出発の朝、朝食のテーブルでタジオを見た、アシェンバッハは決意が鈍った。
だが駅に着いたアシェンバッハは、自分の荷物が手違いでスイスに送られてしまったと知ると、すぐにホテルに引き返した。
勿論アシェンバッハの心は、タジオとの再会に、うちふるえていた。
タジオへの思いをアシェンバッハはもう隠そうともしなかった。
タジオの行く所、いつも、アシェンバッハの熱い眼差しが後を追った。
タジオも、ようやく気づき始めているようだ。
しかしこの頃、ヴェニスには悪い疫病が瀰漫しはじめていたのだ。
街のいたる所に、消毒液の匂いが立ちこめ、病い冒され、黒く痩せ衰えた人々が、行き倒れになっていた。
しかし、観光の街ヴェニスにとって旅行者に疫病を知られることは死活問題であり、それをひた隠した。
何とか聞き出したアシェンバッハはそれが、真性コレラであることを知った。
アシェンバッハは、それでも、ヴェニスを去ろうとはしなかった。
ただ、タジオの姿を追い求めて、さまよった。
精神的な極度の疲労の中、肉体もコレラに冒されて、浜辺の椅子にうずもれたアシェンバッハの目に、タジオのあの美しい肢体が映った。
海のきらめきに溶け込んでゆくかの如き、タジオの姿にアシェンバッハの胸ははりさけんばかりとなり、最後の力をふり絞って差しのべた手も、遂に力尽き、ガックリと息絶えた。

タジオ
タジオ

アシェンバッハ
アシェンバッハ

妻の反応は・・・
「これって名作なんだよね?」
「名前負けだなこりゃ?」
「主演はタジオなの?アシェンバッハなの?」
「別にベニスじゃなくてもいいじゃん、なんでベニスなの?」

まぁ、こちらはおいといて・・・。

リーフレットに「日本では遅れていたヴィスコンティの評価・・・。」と言う文言があったが、確かに理解されにくい内容なのかも知れない。
僕もピンと来ない部分が多くあったが、主人公のモデルとなったのが「マーラー」と言う事で、興味深く観た。
ただ、実際にはマーラーが同性愛者であったわけではないらしい。
同じような疑問を持って質問している人が、やはりいたので参考にさせて頂いた。

質問
映画ベニスに死すではマーラーがモデルとなっていますが、実際のマーラーは少年に恋してしまうような人物だったのでしょうか? – Yahoo!知恵袋

回答
マーラーが同性愛者だったわけではなく、「ベニスに死す」の原作者トーマス・マンが同性愛者
であったため、そのようなテーマになっています。
トーマス・マン自身のことを「音楽家」に変えて表現したものと考えていいのではないでしょうか。
文学者と音楽家の違いではありますが、トーマス・マンの求める理想の「美」がマーラーに近かったのかもしれません。

回答
映画『ベニスに死す』の主人公は、マーラーそのものをモデルとしたのではないと思います。
原作の小説においてトーマス・マンが創作したアッシェンバッハは、たしかにマーラーによりインスパイアされた人物といわれますが、その具体性においては、かならずしもモデルとは言い切れないように思います。
あくまで創作の人物=アッシェンバッハに、ヴィスコンティがマーラーのテイストをより濃く加えたということではないでしょうか。
原作での初老の作家を、作曲家に置き換え、マーラーの芸術観を語らせたという事でしょう。

と言う事のようだ。

こういう作品を観ると萩尾望都さんの「トーマの心臓」とか「11人いる!」が浮かんでくる。
直感的にピンと来る感じはなかったが、後でじわじわっと映画の深みを思い出すかも知れない。

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