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ひとり言

コッホ先生と僕らの革命 (ドイツ DER GANZ GROE TRAUM)

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今日は新年初めての映画。
ユナイテッド・シネマ豊橋18へ出かけた。
ネットでチケット予約したのだが、何故か「申し込まれたデータが見つかりません。」みたいなメッセージ。
10時スタートなのに時間は過ぎてるし、近くに係の人もいないし、焦った結果、劇場のもぎりの人に話をして、何とか入れて貰うことが出来た。
それと前々から思っていたが「ユナイテッド・シネマ豊橋18」の発券機はタッチパネルなのだが、感度が鈍すぎる。
「購入番号」は表示されるから良いのだが「電話番号」はアスタリスク表示なので、どこまで入力したのか分からなくなってしまう。
この辺り、改善して欲しいなぁ・・・。
ちなみに、今日のトラブルはこれが原因ではないよ、何度も試したから。

前置きが長くなりすぎた。
今日の映画はコッホ先生と僕らの革命。
主人公の「コンラートコッホ (Konrad Koch 1846 – 1911)」は「サッカーの父」と言われ、実在した人物のようだ。
ストーリーは明快で、面白かった。
公式サイトによれば・・・

映画『コッホ先生と僕らの革命』は、コンラート・コッホのライフストーリーを正確に辿るというよりも、彼の教育哲学やパイオニアとしての情熱にスポットを当て、それを際立たせるためにアレンジを加えたドラマになっている。

との事だ。
どうりで、昔見た「熱い教師ドラマ」のようで、痛快ではあるが「う~ん。なんだか幸せ過ぎないか?」とも思う映画であった。
いや、面白かったけどね。

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作品情報

19世紀末、ドイツの名門校に初の英語教師として赴任し、後に“ドイツ・サッカーの父”と呼ばれるようになる実在の人物、コンラート・コッホ。
サッカーを通して、子供たちに英語を教えるだけでなく、フェアプレイの精神やチームプレイの大切さを教えた教師と、型破りな授業を通して成長していく子供たちとの絆を描くドラマ。

スタッフ
監督 セバスチャン・グロブラー
脚本 フィリップ・ロス 、 ヨハンナ・シュトゥットゥマン
原案 セバスチャン・グロブラー 、 ラウル・ライネルト
製作 アナトール・ニッチケ 、 ラウル・ライネルト
共同製作 ヘルゲ・サッセ 、 マシアス・ウェンドラント 、 フェリックス・ウェンドランド 、 H. W. ユルゲン
撮影 マーティン・ランガー
美術 トーマス・フロイデンタール
音楽 インゴ・ルードヴィヒ・フレンツェル
編集 ディリク・グラウ
衣裳デザイン モニカ・ヤコブス

作品データ
原題 DER GANZ GROE TRAUM
製作年 2011年
製作国 ドイツ
配給 ギャガ
上映時間 114分

キャスト
コンラート・コッホ ダニエル・ブリュール
グスタフ・メアフェルト ブルクハルト・クラウスナー
リヒャルト・アルトゥング ユストゥス・フォン・ドーナニー
クララ・ボルンシュテット カトリン・フォン・シュタインブルク
リチャード・ハートング ユストゥス・フォン・ドーナニー

1874年、帝政ドイツ。
ブラウンシュヴァイクにある名門校・カタリネウム校のメアフェルト・グスタフ校長(ブルクハルト・クラウスナー)に招かれて、オックスフォードに留学していたコンラート・コッホ(ダニエル・ブリュール)はドイツ初の英語教師として赴任してきた。
しかし当時のドイツでは反英感情が高く、教室でもイギリスに対する強い偏見が待ち受けていた。
授業を開始しようとした矢先、級長フェリックス・ハートゥングを先頭にクラスでただひとり労働者階級出身のヨスト・ボーンシュテットに罪を被せいじめているのを目の当たりにする。
その日の夜に開かれたパーティで、コッホはフェリックスの父と会う。
地元の名士でキリスト友会会長を務め、カタリネウム校に対しても多大な影響力を持つフェリックスの父(ユストゥス・フォン・ドーナニー)は、ドイツ帝国の教育は秩序と規律、服従がすべてであると考えていた。
個性や自立を促す進歩的な教育を目指すコッホとの対立は、避けられなかった。
英語を学ぶ意欲がからっきしない生徒たちを前に、コッホはある一計を立てる。
生徒たちを体育館に集合させ、愛用の革製ボールを見せるコッホ。
それは、サッカーボールだった。
当時、体育の授業と言えば体操であり、触ったことのあるボールといえば医療用の重いボールくらいだった。
生徒たちがコッホに倣いボールを蹴ると、たちまちサッカーの楽しさに目覚めて夢中になり、サッカー用語を通じて英語も熱心に勉強するようになる。
スポーツ用品メーカー社長の息子オットー・シュリッカーは、ボール自体に興味を持ち、同様のものを作れないか試行錯誤する。
またヨストはフォワードとして大活躍をし、各人の個性や才能が見え始めてきた。
ある日、コッホたちが体育館でサッカーの試合をしていると、授業を見学しに来たキリスト友会のメンバーと校長にその様子を見られ、間の悪いことにヨストが蹴ったボールが牧師の股間に命中してしまう。
キリスト友会会長であるハートゥングは激怒し、サッカーを禁止させなければコッホを解雇させると校長に詰め寄る。
さらにヨストは退学処分の最後通告として補習室送りになり、彼の母親クララも、ヨストの将来を危惧しコッホを責める。
サッカー禁止令に従うコッホだが、落ち込む生徒たちを見て、放課後は自由だと提言する。
授業後、自発的にサッカーの練習をする生徒たちの熱意に触れ、コッホも本腰を入れて指導。
次第にクラスは本物のチームとしてまとまっていくが・・・。

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とにかく、いい感じの映画でした。
妻は「う~ん、いいえいがだねぇ。」と満足そう。
そういった感じの映画です、主役の先生と生徒たちカッコ良すぎるくらいカッコ良く描かれています、痛快です。

ひねくれ者の僕などは、「現実にはどうだったんだろうか?ホントにそんなにうまくいくのかぁ?あんな時代だぜ―。」と思ってしまいましたが。

ただ、痛快ではあります。
ドキュメントだなんて思わなければ良いのだと思います。

コッホ先生と僕らの革命より気になった記事。

19世紀末のドイツ、サッカーは“反社会的”なゲームだった。
1870年代初頭、フランスとの普仏戦争に勝利した帝政ドイツは、次の敵国はイギリスとばかり、反英感情が一気に高まっていった。
そのため、イギリスで生まれたサッカーはブルジョア層を中心に“反社会的”なゲームと見なされた。
しかも、当時のドイツでは体操が一般的なスポーツだった。
ゲームスポーツにおける勝利という概念は不道徳かつ不名誉なものと考えられており、勝利の概念とは関係のない体操が好まれたのである。
そのため学校教育においては器械体操や軍隊式の行進が中心で、球技は行われていなかった。
ボールと言えば、いわゆるリハビリに使用される医療用ボールで、鉛が入っていて重く、サッカーボールよりも一回り大きなサイズだった。

現代に通じるコッホの哲学、自由と自立と平等のスピリッツ。
体操の補助としてサッカーを導入した理由を、コッホは“チームプレイ”の精神を養うことと“個性と自発性”の育成としている。
これらは“自由なグラウンドの上でこそ達成することが可能”とも語っている。
さらに、イギリスを旅した際のエッセイで、スポーツが階級差別に打ち勝つ役目を担っていることを強調し、“最上層と最下層の人間が平等にゲームに参加することは、社会の階級差別を緩和することへの大きな貢献になるだろう”と述べている。
ドイツ語と古典語の教師ではあったものの、コッホは紛れもない教育改革論者であり、自由と自立と平等の精神が教育の根幹であると考えていた。
映画『コッホ先生と僕らの革命』は、コンラート・コッホのライフストーリーを正確に辿るというよりも、彼の教育哲学やパイオニアとしての情熱にスポットを当て、それを際立たせるためにアレンジを加えたドラマになっている。
いまだに差別意識や偏見に支配されている現代社会。
映画で描かれたコッホの生き方は、時代を超え、人間としてどう生きるべきかというメッセージにつながっていると言っていいだろう。

こういう映画を観ると、いろいろな国のいろいろな歴史などを知らないなぁ、知りたいなぁ・・・といつも思うのである。

思うだけで終わってしまうのだが・・・。


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