阪神淡路大震災からもう30年も経つんですね
細かく言うと
1995年(平成7年)1月17日(火曜日)5時46分52秒
に発生したようです
当時の自分はサラリーマン本社が大阪だったので大騒ぎでした
ただ自分は当時、鬱な状態でした
今でこそ、こんなに図々しく生きていますが、何年か前に「当時のあなたはひどい状態だったよ」と城所先生に言われました
震災にあわれた方々には本当に申し訳ないんですが、「これで会社がなくなっちゃえばいいのに…」みたいに思っていました
1995年は、他にもオウム事件がありました
自分は確か4月くらいに会社を三週間休み、そして退職を決めます
約2年間、鬱な状態でした
苦しかったです
- すごく天気のいい日も曇りに感じました
- 月曜日は憂鬱で出社するのに、すごくエネルギーが必要でした
日曜日の夕方はいわゆる「サザエさん症候群」でした - 会社帰り、歩いて帰るときは佐奈川の土手で寝そべって「このまま地球が終わらないかな」と思いました
- 「完全自殺マニュアル」なんて、普通の気分じゃ絶対買わない本を買って読みました
- ビール片手に佐奈川沿いを歩きました
ポケットには先生にもらった薬
飲みながら歩き、実家近くの神社でも大量に飲みました
なぜか実家に行きました
耳か「キーン」として少し怖くなりました
豊川市民病院の救急で吸引してもらいました
翌日城所クリニックに行きました
先生に叱られました
でも「今渡してる薬を全部のんだからって死なないからね」と言われました - 一番嫌だったのは
息子の事を「くん」付けでしか呼べませんでした
これが一番嫌でした
城所先生には以下の3通りしかないよ、と言われました
- 自分が変わる
- 相手が変わる
- 自分で環境を変える
結局 3. を選択したことになりますね
当時は「逃げてる」みたいな感覚でした、犯罪者じゃないのにね
でも、数年経ってみるとそれが正解だと思いました
思い悩んでいる子には「逃げちゃえばいいだよ」と言う事にしています
「動物だってそうじゃん、嫌だったり、怖かったりしたらら逃げるじゃん」
数年前にワイドショーみたいな番組である先生が同様の経験談を話し、芸能人に「結局逃げちゃったんですよね」と言われ「いや、そうじゃなくて」と言っていました
なんでスパッと「はい、逃げました」と言ってくれなかったんだろう
最近見た番組では別の先生が「逃げちゃえばいいんだよ」と言っていてホッとした覚えがあります
とにかく、すごく苦しくい2年間でした
何も感じていなかった気がします
あの時間、当然ロクな仕事していませんね
この年に、僕の一番好きなギタリスト、ジョン・ウィリアムスが来日します
もう、嬉しかったですね
ジョン様は1963年に初来日しているんですが、さすがに自分2歳なんで行けません
自分が確か20歳くらいの時に、ジョン様はプログレバンド「スカイ」で来日します
もちろん行きました!!
リアルなジョン様を見る事が出来てもう嬉しかったですね〜
そして1995年はクラシックギタリストとしての来日
堪能しましたよ〜
東京での2公演、両方行ったんですけど、霞が関で降りると人がほとんどいない…
オウム事件の影響なんですね、不気味でしたよ
そんなこんなで自分にとっての1995年はすごく特別な年であった気がします
でも、震災は怖いですよね
地震はもちろん豪雨とかも
人間が地球、宇宙、自然に逆らいすぎてるような気がします
震災関連のニュースを見ていて、当時はおかしなことしか考えられなかった分も含めて、亡くなった方々のご冥福をお祈りしたいと思います
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