高田君のお父さん

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今日はオリエント楽器豊橋センターでレッスン。
最後のレッスンは高田さん。

部屋に入って来るなり

「先生、15年くらい前に小鷹野でギター教えとったぁ?」

「ええ、教えてましたよ、何でですか?」

「高田○太とか○○成治朗くんとか知っとる?」

「知ってますよ。」

「僕、高田○太の父なんですよ。」

「ええ、そうなんですかぁ!!」

高田さんは昨年10月からギターを習いに来ている。

おっとりした感じの方である。

西駅の方に住んでいると思っていたのだが、そちらは仕事場と親御さんが見えるのだそうで、ご自分の家は多米なのだそうである。

高田君のご子息○太君は2001年12月から2004年3月まで、つまり中3の年末から高3の4月までレッスンしていた気がする。

お父さんやお母さんの影響で、その子が習いに来るというのは度々あるが、今回はその逆。

何だか不思議な縁を感じるなぁ。


ちなみに、印象に残っている生徒さんを思い出してみた。

確か高田君と同い年の○○千晶ちゃんと○○成治朗くん。

成治朗君は小5から高校卒業まで(1997年10月~2004年1月まで)お兄さんの一彰君とパソコンを習っていた。
僕の前では無口な子であったが、卒業近くなって将来の夢や日常の出来事を色々話してくれた。
大学ではロボコンなどの大会に出るほどの活躍をしていたようだ。

千晶ちゃんは中1から高2まで。(1999年4月~2003年2月まで。)
よく、僕たちのライブで一緒に弾いてくれた。
大学を卒業して、東京へ就職する前に中華菜館蘭華で一緒に佐藤弘和さんの「そよ風の中、自転車に乗って」を弾いたなぁ。
小鷹野の家に久しぶりにやってきた時、「ああ、変わってないなぁ。」と言う感じの彼女の表情が忘れられないなぁ。

朝倉君は広島の大学へ行ってから連絡がないが元気だろうか?
1997年4月~2001年12月までだから、中1から高2まで習っていたと思う。
中学の卒業式の時だったか、「お世話になった先生に何か弾いてあげたい。」というので、当時はやっていたドリカムの「ラブラブラブ」をアレンジした気がする。
あの譜面、今でもたまに使ってるよ。

○○俊祐君は小5から高3まで。(1998年8月~2003年4月まで。)
彼もたくさんのイベントに参加してくれたなぁ。
小学生の頃はクラシック、中学からはエレキに持ち替えたんだったなぁ。
それで、今でも元気でバンド活動しているようだ。
高校時代、突然慎重が伸びたので膝を痛めて、部活のバレーをやめざるを得なかったんだったなぁ。
エレキを弾いていたんだけれど、音楽の授業で「どんな楽器でもいいのでとにかく2曲弾く。」と言う課題があった時、「先生、『アルハンプラの想い出』と『禁じられた遊び』を弾いていいですか。」と言っていた。
「アルハンブラの想い出」は確か一週間で覚えてきたんだっけなぁ。
彼が持っているギターは小学生時代に買った物で、当時の彼の体型には合わなかったので、僕が使っている物を貸してあげた。
レッスンしていると「んっ、なんだかオレの音に似てる。」と思った。
レッスン後、奥さんが「えっ、今の俊祐君が弾いとったの?お父さんが弾いてたのかと思ったぁ。」なんてこともあったなぁ。

何だかとても懐かしくて、生徒さんとやりとりしたメールとかこれまでの生徒さんの名前を住所録から見返して軽く郷愁に浸ってました。

とにかく、みんな元気でいるようで嬉しいな。

またどこかで、一緒に演奏したり話したりしたいね。

僕は小鷹野から多米に引っ越したけれど、帰ってきたら遊びに来てね。

これからも、素敵な出会いがありますように。


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