ジョン様のアルバム、どれもこれも好きなんだけど、すごく好きな1枚「解き放たれた悪魔」です
このアルバム、2003年10月に発売されたようです
確か同年に来日していて、大阪へ観に行った気がします
帰りの電車の関係でアンコールが聞けず泣く泣く帰路についた気がします
内容はベネズエラの作品を集めたアルバムです
20歳くらいから中南米の音楽が好きで聞いていました
日曜日の朝10時くらいかなぁ、「中南米の音楽」って番組があってよく聞いていました
ギターの世界だと、パラグアイのバリオスが有名なんですが、もちろんバリオス作品も好きなんですけど、このアルバムの中にある曲は庶民的と言うか、そんな感じが好きです。
弾くのは難しいですけどね、テンポ早めの曲が多いんで
アルバム最後の曲「Preludio De Adiós」は比較的弾きやすいと思いますよ!!
ライナーノーツにジョン様の解説もあってとても嬉しいです、いろんなことが分かりますよ
昔なら頑張って手打ちするか、スキャナーでスキャンしてOCRかけてテキスト化してたんですけど、今は便利ですねぇ
スマホで写真撮ったら、そのままGoogleさんにお願いすればかなりの確度でテキスト化してくれます
YouTube でも音源がありましたよ、いい時代ですね~!!
上のチャンネル「ジョン・ウィリアムズ – トピック」って名前なんですけど、公式なのかと思ったら「アーティストの自動生成トピック チャンネル」みたいです
アラビア語のチャンネル概要があるんですけど、以下のような記載がありました
■アラビア語
جون وليامز هو عازف قيثارة، وموسيقي، ومعلم موسيقى، وعازف الإيتار الكلاسيكي، ومؤدي من أستراليا، والمملكة المتحدة، ولد في ملبورن، يستخدم آلات قيثارة، وجيتار كلاسيكي.■翻訳
ジョン・ウィリアムズは、メルボルン生まれのオーストラリア人で、イギリスを拠点に活動するクラシックギタリスト、ミュージシャン、教育者、そしてギター、クラシックギター、ベースを演奏するパフォーマーです。
CD はこんな感じです

ライナーノーツは自分のメモとして保存しておこうと思います
公開はしない方がいいんでしょうね、著作権の事とかよく分からないんで…
ジョン様の解説など







曲目一覧

ジョン・ウィリアムス/エル・ディアブロ・スエルト
~解き放たれた悪魔
John Willams/El Diablo Suelto
- ロス・カウハリートス
Los Caujaritos (pasaje) (2:35) - エル・トトゥモ
El Totumo de Guarenas (Golpe) (1:37) - 星の涙
Como llora una estrella (Valse-Canción) (3:58) - セイス・ボル・デレーチョ
Seis por derecho (Joroto) (3:19) - わたしを忘れないで
No Me Olvides (Golpe) (3:09) - うずら
Las Perdices (Golpe) (2:18) - 平原児の魂
Alma Llanera (Valse) (2:50) - サルベ
Salve (2:15) - カンティコ(歌)
Cántico (1:33) - アギナルド
Cantemos, Cantemos (Aguinaldo) (1:21) - カンシオン
Si De Noche Ves Que Brillan (Canción) (1:32) - ベネズエラの歌
Malhaya La Cocina (Aire Venezolano) (0:57) - ガレロン
Ave María !Que Muchacho! (Galerón) (1:10) - キルパ・グァティレーニャ
Quirpa Guatireña (1:56) - アンゴストゥーラ
Angostura (Valse) (1:47) - エル・ディアプロ・スエルト ~ 解き放たれた悪魔
El Diablo Suelto (Valse) (2:19) - ビルヒリオ
Virgilio (Bambuco Tachirense) (2:36) - アラグエーニョ
Pasaje ‘Aragueño (1:50) - これ以上君を愛するなと
Que No Te Quiera Más (Serenata) (2:25) - ロマンサ
Romanza (2:49) - プリバ・リスエジョ
Priva Resuello (Pasaje) (2:16) - マリア・カロリーナ
María Carolina (Valse) (2:33) - ベネズエラノワルツ
Vals Venezolano (3:22) - ネリー
Nelly (Gaita) (2:21) - エル・マラビーノ
El Marabino (Valse) (1:20) - 別れへの前奏曲
Preludio De Adiós (3:51)
ライナーノーツ 濱田滋郎さんの解説



ター界の王者から、カリブ沿岸の風味に満ちたすばらしい人間讃歌の贈り物
「キング・オブ・ギター」ことジョン・ウィリアムスの新盤は、めずらしくも全篇が南米べネズエラからの、民族の香りあふれる音楽である。
すなわちこの1枚は、ジョンがベネズエラとその音楽に寄せる、誠意を込めたすばらしいオマージュなのである。
同時にそれは、ギター界の一人のすぐれた先輩に捧げる、敬愛のしるしともなっている。
その先輩とは、ジョン自身と同じくかつて巨匠アンドレアス・セゴビアの門に学んだベネズエラの卓越したギタリスト、アリーリォ・ディアス(1923年生まれ)であるが、まずはベネズエラの国柄、そしてその音楽について、始めにざっと説明させて頂こう。
ベネズエラ共和国は、南米大陸北部の一画を占め、面積は日本の約2.4倍ある。
熱帯に位置する国で、Venezuela (スペイン語ではベネスエラと発音する)という国名は “小ヴェニス(ヴェネツィア)”の意味。
その昔、ヨーロッパからこの地へ来た人びとが、 現在のベネズエラの西部にある湖、マラカイボのほとりで水に親しみながら暮らす人びとの生活を見て、名だたるイタリアの水の都を連想したため、こういう地名、ひいては国名が生まれたのだという。
ベネズエラには多くの先住民族が住んでいた(今も住んでいる)し、ヨーロッパから主としてスペイン人たちが渡来しここを征服してのち、彼らによりアフリカから連れてこられた農奴たちの子孫も地域によっては少なくないため、人種的にかなり複雑である。
しかし、全体的に最も優勢なのはメスディーソ、つまりヨーロッパ人(この場合、スペイン系)と先住民(いわゆるインディオ)との混血民族であると言えよう。
したがって、 音楽の上でも、あきらかにイベリア半島系の要素が認められる反面、この土地独特の要素もしばしば興味深い現れかたを示して、 オリジナルティの濃い固有のパノラマを生んでいる。
この国の文化的かつ音楽的中心地である首都のカラカスは国の北部、カリブ海沿岸地帯にあるが、いわゆる海岸にではなく、いきなり急勾配で、標高1,000メートル近い高原へ登ったところにある。
私が訪ねたのはかなり以前のことだが、熱帯しかも高原のこととて光と影のコントラストが余りにもくっきりと鮮やかだった印象が心を去らない。
たとえば楽器を持って、アスファルトの道で歌い踊りながら遊んでいた少年たちの影が、まことに黒々と、不思議な生き物の様に見えたことなど…。
そして、彼らの手にしていた楽器というのが、ベネズエラの「国民楽器」とまで呼ばれるほど、この国に普及し広く愛されている「クアトロ」であった。
クアトロ(スペイン語で数字の4)という名前は体を現していて、これは4本の弦を張った一種のギター。
4弦であることからはウクレレに近いが、大きさはそれよりかなり大きく、むしろ一般のギターに近い。
主に歌や踊りの伴奏楽器として使われてきたものだが、昨今のベネズエラには、これを立派なソロ楽器として使いこなし、芸術的にも価値の高い独奏を披露する名手たちも何人か登場している。
当ディスクで、ウィリアムスと丁丁発止、快調なデュオを繰りひろげて聴かせるアルフォンソ・モンテスも、その一人である。
ベネズエラの豊富な民族(民俗) 音楽のパノラマについて、ここで述べていては長くなる。
それに関しては以下の曲目解說中に記すメモから大要をつかんで頂くようお願いして、次には、当ディスクの“影の主役” となっている偉大なギタリストのことに話を移したい。
当盤に含まれるすべての楽曲に「編曲者」 として名を連ねるアリーリォ・ディアスは、たんにベネズエラきっての名匠というばかりか、2003年現在、世界のクラシック・ギターにおいて、最も厚い敬愛を捧げられている長老の一人である。
若くしてヨーロッパに渡った彼は、マドリード王立音楽院でレヒーノ・サインス・デ・ラ・マーサに師事したのち、1951~58年、シエナ(イタリア)のキージ伯アカデミーでアンドレス・セゴビアに学び、その最も定評高い門弟となった。
1954年にはセゴビアから同アカデミー助手に指名され、65年には師のあとを継いで教授に就任している。
1966年に一度だけ来日し、既に大家の風格を漂わせる演奏を聴かせた。
ディアスはギター音楽の古典的レバートリーを始め、J・S・バッハなどを弾いても見事な演奏を聴かせてきたが、その半面、自国のクラシカルなギター音楽(たとえばやや先輩にあたるアントニオ・ラウロ(1917-86)の作品)や、民族音楽の数々にも深い関心を払い、折りあるごとに、ギター独奏曲へのアレンジという方法を通じて、これらを世に紹介することに心を砕いてきた。
ディアス自身がベネズエラの民族音楽をまとめて入れたLPアルバムもかつてあり、コレクターに珍重されている。
が、今ここに、天下の名手ジョンが正面から、アリーリォ・ディアスのライフワークである民族音楽コレクションに取り組み、大家も心から喜ぶに違いない、生気と洞察力にあふれた演奏を繰りひろげて見せるのは圧巻である。
ある曲では舞曲の生命である快活なリズムの乗りに身を任せ、べつな曲では十分に間を取りながら情熱ゆたかにメロディーを歌わせるジョンを聴いていると、あらためてつくづくと、この大ギタリストが身に具えているヒューマニティの高さ、深さに感動せざるを得ない。
「遊び」のようでいてさに非ず、これは非凡なアーティストでなくては歌い得ない、すばらしい人生讃歌なのである。
曲目についてのメモ
(編曲者ないし校訂者はすべてアリーリォ・ディアス。タイトルの後に印を付すものはジョン・ウィリアムスとクアトロ奏者アルフォンソ・モンテスの2重奏、印のないものはジョンの独奏による。)
- ロス・カウハリートス [パサーへ] (イグナシオ・インディオ・フィゲレード)
パサーへは英語のパッセージにあたるスベイン語であるが、ベネズエラの音楽形式名としては、軽快な速めのテンポを持つ、8分の6拍子と4分の3拍子をミックスさせた典型的に中南米タイプの舞曲を指す。
題名の「ロス・カウハリートス」に関しては、一般のスペイン語辞典のみならず「ベネズエラ方言辞典」を覗いてみても意味不明。
おそらく地域的な動物または植物の名ではなかろうか。
作曲者のイグナシオ・フィゲレード、通称インディオについても、詳しいことはわからない。 - エル・トトゥモ (ペニート・カノニコ)
題名はヒョウタンの一種のことだが、同時に舞曲の一形式を指すこともあるらしい。
リズムとしてはパサーへによく似ており、曲名をエル・トトゥモ、形式名をパサーへと考えてもよいであろう。
ベニート・カノニコは20世紀中葉、ベネズエラの民衆的音楽家として、かなり名高かった人である。 - 星の涙 (アントニオ・カリージョ)
原題は「ひとつの星が泣くように」。
感傷を湛えた旋律が心に残るベネズエラの名曲で、広く演奏されている。
作者のアントニオ・カリージョ(1892-1962)はベネズエラ西部のバルキシメートに生まれた音楽家で、バンドリン(マンドリンの一種)を弾いたり、吹奏楽団を指揮したりした。
「星の涙」は 1917年の作と伝えられる南米風のワルツ(スペイン語では「バルス」と呼ぶ)である。 - セイス・ボル・デレーチョ (アントニオ・ラウロ)
この曲はジョン・ウィリアムスが以前から愛奏していたので、耳に覚えのある方も多かろう。
題名は「きまって6個」の意で、6拍子をとる舞曲の一種。
20世紀ベネズエラ有数の作曲家で、自らギターをたしなんだアントニオ・ラウロ(1917-86)が、民俗音楽の形と雰囲気を尊重しながら、すばらしいギター独奏曲としたものである。 - わたしを忘れないで [カンシオン] (オベリオ・リエラ)
作曲者のオペリオ・リエラ (1912-73)はベネズエラ西部のカローラに生まれた音楽家で、早くから歌とギターをよくし、詩作もする、吟遊詩人のような存在だった。
この美しいパルス(ワルツ)を彼が作ったのは、1939年頃のことである。 - うずら(ペドロ・ロペス)
ペドロ・ロペスも、カリージョ(③)やリエラ(⑤)と同じ頃、ベネズエラ西部のララ州で活動した音楽家。
バンドリンの名手で、この「うずら」は、よく知られたこの鳥の鳴き声、楽器の上にまねてみた1曲だという。
リズム形式は、この地方の舞曲の一種でゴルペという。
ゴルペは、一般名詞としては「打撃」「叩くこと」を意味する。 - 平原児の魂 (ペドロ・エリアス・グティエレス)
「アルマ・ジャネーラ」すなわち「平原児の魂」は、時として「ベネズエラの第2の国歌」と呼ばれるほど、この国のみならず中南米一円に広く知られる名曲である。
「…この岸辺、波さかまくアラウコ河のほとりに生まれたわたしは/水泡(みなわ)の鷺(さぎ) の、バラの、そして太陽の兄弟/わたしは愛し、泣き、歌い、夢見る/愛する若駒のたてがみを情熱のカーネーションで飾りながら6…」というロマンティックな歌詞も、ベネズエラ人なら誰でも知っている。
作曲者のべドロ・エリアス・グティエレスは軍楽隊の指揮者であったとのこと。
この曲のリズム形式は、通常「ホローポ」とされているが、これはじつは、ある種の伝統的な音楽・舞曲を総称する言葉で、前出のパサーヘ、ゴルペのほか、コリード、ガレロンなどを含む。 - サルベ (ビセンテ・エミリオ・ソホ)
題名は「救い給え」の意、すなわち宗教的な祈りの言葉で、哀愁をおびた荘重な曲調からも、宗教歌をテーマに選んだ作品だとわかろう。
作曲者のビセンテ・エミリオ・ ソホ(1887-故人)は、合唱音楽の振興などにも力を尽くし、ベネズエラ楽壇に重きをなした人である。 - カンティコ (歌) (ソホ)
以下の5曲も、すべてビセンテ・エミリオ・ソホが民謡・民俗音楽にもとづいて書いた小品をA・ディアスが校訂したものである。
「カンティコ」は南米らしいセンティミエント(情感)を湛えた歌の調べ。 - アギナルド (ソホ)
この快活な調べは、クリスマス・シーズンに、人びとが喜捨をつのりながら町通りを歩くときの音楽である。 - カンシオン (歌) (ソホ)
「カンシオン」とは、ごく一般的に「歌」「歌論」を意味する言葉。
⑨と同じく、感傷的でナイーヴな魅力を持った曲調である。 - ベネズエラの歌 (ソホ)
「ベネズエラの歌」とはそのものずばりの題名だが、軽快な舞曲調としても通用する 1曲。 - ガレロン (ソホ)
「ガレロン」は、パサーへ(①)などと共にベネズエラを代表する舞曲のひとつ。
8分の6拍子と4分の3拍子を交錯させたリズムが実に快調。 - キルパ・グァティレーニャ (ソホ)
これも続いてソホの作品、明朗で愛娘に富んだ素敵な曲で、題名の「キルパ」は舞曲の一型、「グァティレーニャ」は、ソホの生まれた町ゲッティレにかかわる地名形容詞である。 - アンゴストゥーラ (ラウロ)
④と同じくアントニオ・ラウロの作品。
題名は通常、山間などの狭い道を意味するが、同時に南米産のミカンの一種がこう呼ばれることもある。 - エル・ディアブロ・スエルト (解き放たれた悪魔) (エラクリオ・エルナンデス)
ベネズエラではよく知られ、土地の音楽家が好んで演奏する1曲。
ここではクアト口のリズムを加えた演奏が聴かれる。
ふだんは神の威光で地中にひそんでいる悪魔が、自由を得てはねまわる。
それは世のしがらみを忘れて奔放に踊りぬく人の姿でもある。 - ビルヒリオ (ラウロ)
ラウロは、自分の作品、とくにバルス(ワルツ)の数々に、女性の名をつけるのが“趣味”だった。
しかし、この1曲には「ビルヒリオ」と男性名(古代ローマの詩人ヴィルギリウスに由来する)をつけている。 - アラグエーニョ [パサーへ] (ラウロ)
「アラグエーニョ」は、ベネズエラ西部海岸よりの一地方アラグアにちなむ形容詞、この場合、舞曲形式名のパサーへにかかっている。 - これ以上君を愛するなと (ソホ)
V・E・ソホ作。
おそらく彼の手になる歌曲からのアレンジである。
南米らしく甘美な味わいを湛えたセレナード風の抒情歌謡である。 - ロマンサ (ラウロ)
前の曲と似た味わいの抒情小曲。
このあたり、しっとりとした魅力が当ディスクに奥行きを与える。 - プリバ・リスエジョ パサーへ (“インディオ”・フィゲレード)
①と同じ作者による快活なパサーへ。
題名は「鼻息無用」といったユーモラスなもので、息を呑ませ、呼吸を止めてしまうほど鮮やかな名曲演奏を表す言葉なのだろう。 - マリア・カロリーナ (ラウロ)
先ほどのところで触れたように、ラウロが女性名をつけた一連のワルツのひとつ。
軽快かつデリケートな曲調である。 - ベネズエラのワルツ (ラウール・ボルヘス)
ラウール・ボルヘスは、アリーリォ・ディアスの先輩にあたるベネズエラの名ギタリス兼作曲家の一人。
一般にベネズエラのワルツは、平坦に3拍子を刻むのではなく、絶えず8分の6拍子が同時にカウントされて、小刻みな動きをとるのが妙味となっている。 - ネリー (ラウロ)
これも女性名を持ったラウロのワルツ。
ここではアルフォンソ・モンテスのクアトロが加わる。 - エル・マラビーノ (ラウロ)
同じくクアトロとの共演で、ラウロのワルツをもう1曲。
題名は地名にちなむ形容詞である。 - 別れへの前奏曲 (アルフォンソ・モンテス)
「プレルディオ・デル・アディオス」とは、これまでありそうでなかった、粋なタイトルである。
共演のクアトロ奏者モンテスの作品とのことなので、もとはクアトロ独奏のために作られた曲かもしれないが、非常に美しいギター曲に仕上がっている。
濱田滋郎
ジョン様のベネズエラ音楽の解説など


ル・ディアブロ・スエルト ~解き放たれた悪魔ジョン・ウィリアムス
ベネズエラの音楽は、先住民族であるインディオ、彼らを侵略したスペイン人、そして元々はスペイン人達によって奴隷としてべネズエラに連れてこられ、その後1950年代頃まではカリブの他の地域から流入してきたアフリカ人という、3つの異なる文化が融合して生まれた、実に活き活きとした音楽だ。
スペイン人がやってくる前の南北アメリカにおける楽器と言えばフルートとドラム程度で(和音楽器や弦楽器などはなかった)、ベネズエラにおける最初の音楽的な融合は、スペイン人によって追いたてられたインディオの社会集団と、逃亡したアフリカ人奴隷たちが共に行う儀式の場において行われたのだろう。
忘れてはならないのは、この時既にアフリカの黒人達は豊かな弦楽器の伝統を持っており、ベネズエラでギターとハープはすぐさま広まっていったのだ。
我々が今日知るスペインのギターは、15、16世紀頃のそれとは大きく異なっている。
スペインでは、大衆向けの音楽に使用された小型の4弦ギターと、より大きく、宮廷や教会音楽で使用された、ビウエラという5弦ないしは6弦の楽器があった。
1529年、ベネズエラ沖に位置する小さな島であり、最も初期の植民地の一つであったクバグアに、スペインから送られた多くの荷物の中に、15台のビウエラがあった。
ビウエラにはいくつかの異なる弦の種類や調律法があり、弦をはずすことによってビウエラを“ギター”に改造したり、その逆のことなども行われていた。
これはベネズエラの国民的楽器であるクアトロの起源に大いに関わっている。
クアトロ(文字通り“4”という意味)は小さな4弦ギターであり、最初の“古い”ギターによく似ている。
高音で調弦されているが、一番上の弦だけが低い音を響かせ (調弦が途中で方向を変えるのだ!)、つま弾かれるリズムや和声はベネズエラ音楽に特有のものである。
17、18世紀のベネズエラには、様々な種類のギターについての記録が残っている。
例えばその中にはguitarra pequeña (小さなギター)があり、これはいわゆるクアトロのことだった。
今で言うフルサイズのギターは19世紀になってヨーロッパで発展したものであり、現在、クアトロ、ハープ、マラカス、そしてパンドーラ(アラブのウド、つまりリュートに似ていて、これもまたスペイン人がもたらした)などとともに、 様々な組み合わせで典型的なベネズエラ器楽音楽の響きを奏でるのだ
もっとも、楽器のことを説明するにあたっての真の興味の焦点は、音楽文化の進化と、 絶え間ない社会的変遷の中でそれが担う役割にある。
つまり、それらが「何であるか” ではなく“何を表しているか”なのだ。
前述した、先住インディオ族の社会と逃亡奴隷たちとの間の音楽的融合、さらにはスペインの中世宗教儀式とアフリカの“悪魔の踊り”の交わり(共に悪霊退散等を祈願している)は、後に音楽が統合されていく上での軸を形成していくことになる初期の“共闘” の一例である。
17世紀の頭にはドラムにギターが加わり、当時の文献ではネグロやムラートによるダンサ・インディアについての記述が認められる。
18世紀になると、ファンダンゴやダンサ・デ・モロスなどといった民衆のダンスがカラカスなどでは下品なものとして禁止されるようになったが、一方でこれらを始めとする“新しいダンス”は祭などの祝い事の際にますます盛んになっていった。
多くの場合、これらの新しい踊りのリズムやテンポは異なる文化が統合されていった結果であり、それを形容するには変容といった言葉が相応しかった。
このプロセスにおいて同様に重要だったのが20世紀半ばまで続いた、様々な異なる文化や信仰を携えたアフリカ系カリブ人の流入であった。
彼らはしばしば、音楽的な同化が何世紀も続く中で失われていった純粋性をもたらしたのだった。
とりわけポリリズム(同時に異なるリズムを演奏すること)は、精霊や神がそれぞれ異なるドラムのリズムによって表現される儀式において見受けられる。
アフリカのリズムが一般的に複雑であることは強調しておかなくてはならないだろう。
というのも、その全身を使った躍動感と、ヒスパニックやインディオの、より地に足の付いたダンスのスタイルとの組み合わせこそがベネズエラ音楽におけるエネルギーの源なのだから。
例えば、スペイン音楽においては3/4拍子と6/8拍子を交互に演奏するのはごく普通のことなのだが、それらを同時に組み合わせたり、他のクロス・リズムと併用したりするのはアフリカ音楽の典型なのである。
(19世紀に伝えられた)ヨーロッパのワルツでさえもこういったリズム面の影響を受け、一種の新しい“ベネズエラのワルツ、いわばバルス・クリオーロとなっていった。
その最たるものが「エル・ディアブロ・スエルト~解き放たれた悪魔」である。
その他で変容していったものの中には古典的なセイス(6)がある。
これは本来キリスト聖体節に踊る6組のダンサーのための音楽であり、ここでは「セイス・ボル・デレーチョ」として聴くことが出来る。
この曲はベネズエラで最も人気の高い踊りの一つであるホローポというスタイルを取っており、これはスペインのファンダンゴが起源となっている。
踊りの多くはまた同時に歌でもあり、それらのリズムは動作と同じくらい歌詞からの影響を受けている。
こういった伝統的な音楽を分析する際に、ヨーロッパ的な手法は必ずしも成功するとは限らない。
というのもその根底には、観察した事象を、事前に確定されたヨーロッパ的なパターンに当てはめるという習癖があるからである。
べネズエラのアギナルドはその好例であり、そのルーズな5/8拍子はしばしば誤って 2/4拍子として記されてしまっている。
ではここでベネズエラの舞踏音楽の形式をいくつか列挙してみよう。
パサーへ:ホローボ形式の叙情的なバリエーションであり、ジャノス地方で人気が高い。
ゴルペ:これもまたホローポ形式の変形であり、ララ地方に起源を持つ。
バルス:典型的なバルス・ベネゾラーノ(訳注:ベネズエラのワルツ)はホローポによって影響されているが、多くの種類がある。
ホローボ:ベネズエラの国民的なダンスは様々な形式を持つが、とりわけ3/4拍子と6/8拍子を鮮やかに組み合わせる点が特筆すべきである。
サルベ:アフリカの影響を受けた、ミサの祈りとそれに対する返答。
アギナルド:クリスマスに歌われるこのスタイルは素敵な5/8拍子を持っている。
ガレロン:踊りと歌の組み合わせで、元々はスペインからのガレオン船の到着を祝っていた。
キルバ: 結婚式などで踊られる。
これもまたホローポの一種でジャノス地方生まれ。
パンブーコ:コロンビアとベネズエラから生まれた踊りと歌。
遅いものも速いものもある。
ガイータ:アフリカの影響を受けたダンスで、マラカイボ地方が発祥地。
大抵は唸り声のような音を出すアフリカの“摩擦”ドラムであるフルッコで演奏される。
伝統的な起源に加え、これらのダンスの多くは19世紀においてはベネズエラのボビュラー音楽の土台となった。
これらの形式はピアノ音楽やオペレッタなどの作曲家たちや、20世紀においてはバンドのアレンジャ一たちによって使用された。
また同時に、ソロ楽器としてのギターに対する興味も膨らみつつあり、これは1932年の、パラグアイの偉大なギタリスト/作曲家、アグスティン・ バリオス・マンゴレの来訪によってさらに後押しされることとなった。
彼はベネズエラにおいて2ヶ月間で25もの公演を行ったのだ!地元のギタリスト、ラウル・ボルゲスはマンゴレの友人となり、彼とコンサートで共演したり、彼から学んだのだった。
ボルゲスはまたギター以外にもヴァイオリンとピアノを演奏し、そしてなにより重要なことに、クアトロを演奏したので、ポピュラー音楽に対する純然たる感性と理解を持っていた。
これ以来、ラウル・ボルゲスはベネズエラにおけるギターの“父”となり、作曲家/ギタリストのアントニオ・ラウロやアリーリォ・ディアスなどを始めとする次世代の演奏家達を育てていった。
もちろん、ディアス自身も伝説的な存在であり、長年の間にソロ・ギターのために書かれたベネズエラ音楽を大量に集め、編曲し、そしてまとめてきた。
そこには伝承曲や器楽曲、そしてさらにはジャネーラ・ハープの偉大な名手、イグナシオ“インディオ”フィゲレードの筆による作品などが含まれていた。
このレコーディングにあたって私はすべてこういった新しい版を使用した。
自分がまだ12歳の少年の時にアリーリォ・ディアスに出会った私は、こうして50年後、謙虚な気持ちと親愛の情と共に、彼からいかに多くのことを学んだかを思い起こし、ベネスエラ音楽に私が抱く愛情において彼がいかに大きなインスピレーションとなってくれたかを思うのだ。



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