これも大好きなアルバムで世界のフォークソングを集めたアルバムです
いわゆる民謡ばかりなのでタイトルが覚えにくいかも…


収録曲はこんな感じ
Side A
- ラグル・タグル・ジプシーズ
Wraggle-taggle Gipsies - さすらいよ・さらば
So We’ll go no more a-roving - ヘイレ・カティ / この世にただ一人の乙女
“Hey,Kate” / There is but one girl - ハートのクィーン
Queen of heatrs - カタリ・カタリ (つれない心)
Catari, Catari - ベトロネラ / 聖パトリックの日 / プーアカーラン・ビーイェ
Petronella / St. Patricks Day / Buacallan Buidhe - スカボロー・フェア
Scarborough Fair
Side B
- カルナバル
Carnaval - セイス・ボル・デレーチョ
Sais por Derecho - 海を越えて空へ
Over the Sea to Skye - マシラエー
Mashilae (Sorghum Song) - ミュージック・ボックス・チューン
Matic box tune - 泣かないお前
You who do not weep - 7.ウェイリー・ウェイリー/シェナンドー
Waly Waly / Shenandoah
クレジットはこんな記載です
ジョン・ウィリアムス ギター
編曲 ブライアン・ガスコイン
Producer : Roy Emerson
Racorded at CBS-Studios, London
July 1981
May & June 1982
おなじみ濱田滋郎さんのライナー解説です


ギターは歌! ジョン・ウィリアムスの“開かれた”世界
ジョン・ウィリアムスは、1983年の5月に久しぶりの来日をした。ただし、彼がここ数年その一員としてさかんに活躍するニュー・ロックないし脱ジャンルのグループ「スカイ」のメンバーとしてで、独奏リサイタルは行なわれなかった。彼の一存では決まらないビジネス上のこととは知りつつも、残念がる声がクラシック・ギター ・ファンのあいだに強かったのは事実である。
こんな状況を見ると、かつてのクラシック・ギター界のプリンス(ちなみにジョンは、早いものでもう42歳 —1983年現在- になる)が昨今ではすっかり宗旨替えをして、“フュージョン・ギタリスト”の雄に変身を遂げたのだと、早とちりする人びとが少なくないかもしれない。だが、このところ内外で行なわれた彼へのインタビュー記事を読んでみるにつけ、そうした“宗旨替え”“変身”という言葉ほど、彼にとって心外なものはないようである。自身の言葉を要約すれば、彼は「クラシック・ ギタリストとは、一人ぽつねんと孤高をきめこみ、自分と少数の聴き手たちを相手として厳粛に音楽を奏でる人のこと」という既成の概念が – そして、それを正当なものと受け入れる大方のクラシック・ギタリストたちの態度が – いかにばからしいものであるかを、彼がおのずと悟ったのにすぎない。そして、彼のそうした自覚は、 ありとあらゆる種類の音楽が豊かに溢れている街ロンドンで、音楽家同士の触れ合いの中からごく自然に生まれてきたものだという、もともとギターは個室の楽器ではなく、それこそどこにでも、人間とその歌心があるところならどこにでも存在してきた楽器で、それが正当かつ健全なありかただ、と彼は言う。
このレコードは彼のそうした考えかたの、新しい果実として生まれた。世界のあちこちから“きれいな、快いメロディ”という共通項のみでつくられた一連の民謡(ないし民族音楽)を集め、独奏ギターを中心に多彩な伴奏 – 入れ替り立ち替り、のべ22人の音楽家たちが登場する – を配したものである。軽く楽しく、モダンなタッチで編曲を施したのは、ジョンの盟友の一人である作曲家・ピアノ奏者・マリンバ奏者・ブライアン・ガスコイン(1943年 シュロップシャー州生まれ)である。彼は以前に(John Williams & Friends)(《クラシック・ギターの休日》、日本盤番号 25AC181)というアルパムに加わって録音したさい、仲間同士でいろいろな民謡やポピュラー・ソングを演奏した楽しさが忘れられず、このたびの企画にも編曲を買って出た。〈The Guitar Is The Song〉、ギターは歌なり…このタイトルに、 アルバムの性格が語り尽くされていると言えよう。なお、ジョンはこのレコードのためにスペインの銘器イグナシオ・フレータのほか、オーストラリアのグレッグ・スモールマンという、近頃お気に入りの新進製作家による愛器を用いている。
曲目について
Side A
- ラグル・タグル・ジプシーズ (スコットランド/イングランド民謡)
英国の古い民謡。節まわしもエキゾティックで魅力的なら、伝承の歌詞もこの国にはめずらしい“ジプシー好み”の物語り歌である。その荒筋をざっと記しておこう ――「ある館に、何不足なく暮していた貴族の夫妻。ところがある日、出先から戻ってきた夫は信じられぬことを聞く…奥様がさきほど、ジプシーの若者と一緒にお逃げになりました…夫はさっそく早足の馬を引かせ、またがるや否や笞をくれる。行く手に見えてきた妻とジプシー。…(夫)どうか戻っておくれ、いとしいお前、何ひとつ不自由させはしない、どんな宝でも買ってあげる…(だが妻は)いいえ、あなた、お金も宝ももう要りません。わたしは行きます。このジプシーの若者と、たとえ露にぬれて寝ようとも…」 - さすらいよ、さらば(ダイヤー=ベネット)
リチャード・ダイヤ―=ベネットはハイ・テノールの素晴らしい美声と簡素ながら音の良いギターの弾きがたりで、1950~60年代の“フォーク・リヴァイヴァルを飾った現代の吟遊詩人。その彼がバイロンの詩につけた民謡調のメロディである。 - ヘイレ・カティ/この世にただ一人の乙女 (ハンガリ一伝承曲)
ハンガリー名物、ジプシー・ヴァイオリンの世界では知らぬ者もない名曲ふたつ。はじめの曲 (題名は“おおい、カティ!”という女性への呼びかけ) はハンガリーの名ヴァイオリニスト、イェネ・フバイ(1858~1937)が編曲演奏し、名高くした。あとの曲はまた、スペインの名手パブロ・デ・サラサーテ(1844~1908) が《ツィゴイネルワイゼン》の中に用いたことから、あまねく知られている。ただし、ハンガリーではもともと誰もが口ずさんだ恋の歌である。 - ハートのクィーン (イングランド民謡)
短調をとるこの英国民謡は、わびしげな、情のこもった調子を持っている。主役のジョンをはじめ、そんな気分にひたった編曲であり、演奏だ。 - カタリ・カタリ(つれない心) (カルディッロ)
おなじみの美しいナポレターナ(ナポリ民謡)。世界的に知られたのは1951年のイタリア映画 「純愛」 からだが、作曲は1911年にさかのぼり、サルヴァトーレ・カルディッロ(1874-1947)と呼ばれるナポレターナ作者の手になる。正式な題名を「コレングラート (つれない心)」と言い、「カタリ・カタリ」は中で歌われる女性の名 (カタリーナの愛称形)である。 - ペトロネラ (スコットランド伝承曲) / 聖パトリックの祝日 / ブーアカーラーン・ビーイェ(アイルランド伝承曲)
スコットランド、アイルランドで、ジグあるいはリールと呼ばれるフォーク・ダンスの調べ。編曲者のガスコインが言うには、これらの舞曲はメロディとドローン・ バス(曲を通じて一定に、単調につづけられる低音)さえあればいいので、余分なハーモニーをつけたら、かえって台無しだそうである。そう言われてみれば、これらはバグパイプで演奏されることが多く、そのさいはメロディとドローンだけである。 - スカボロー・フェア (イングランド民謡)
1968年にサイモンとガーファンクルが大ヒットさせたこの歌は、もと、英国の古い“なぞなぞ獣”だという。 ご存知のとおり歌い出して2行目に、〈パースリー、セイジ、ローズマリー&タイム) (パセリ、サルビア、マンネンロウ、タチジャコウソウ)と、香りのよい植物の名前が並べられて人びとを何となく高妙な詩的世界に連れていくのも、そんな由来のせいだ。
Side B
- カルナバル (ベネズエラ伝承曲)
題名は謝肉祭、つまりカーニヴァルのことだが、ラテン・アメリカでは〈カルナバル) とスペイン語で発音しないと、何となく感じが出ない。世界に有名なリオ・デ ・ジャネイロのそれに限らず、中南米にはカルナバルを賑やかに祝う町村が少なくない。熱帯の国ベネズエラに行なわれるカルナバルの舞曲は、ラテン・アメリカー円に普及している、8分の6拍子と4分の3拍子の混合拍子をとる。これは、ホロポ (Joropo) と呼ばれるベネズエラの“国民舞踊”の調子だ。 - セイス・ボル・デレーチョ (ベネズエラ伝承曲)
同じくベネズエラの舞曲で、8分の6拍子・4分の3 拍子の混合リズムを持っている。バックでせわしないリズムを刻んでいるのはクアトロというウクレレに似た4 弦のギター。これを聴くと、光と影があまりにもはっきりした熱帯の街カラカス (ベネズエラ首都)の路上で、 子供たちがクアトロを手に遊んでいた情景を思い出す。題名は“きまって6” “必ず6つ”といった意味で、伴奏が1小節内にきまって6個の音符を連打するリズム形から来ている。 - 海を越えて空へ (スコットランド民謡)
いかにもスコットランドの歌らしく、ペンタトニック (5音音階)的な節まわしが多い旋律。特有のノスタルジーを生かすよう、優美な編曲がなされている。 - マシラエー (エチオピア伝承曲)
アフリカ東北部のエチオピア王国には、その昔アラビア半島から渡った人びとの子孫たちが住んでおり、その音楽はペンタトニックが中心で、日本の音楽とも共通性があるという。ここに聴く1曲も、私たちにとって親しみやすく、何かなつかしいムードを持っている。MAS-HILAE という題名に「Sorghum Song」と但し書きが入っているが、筆者はエチオピア音楽に暗く、おわびとともに解説をバスさせて頂く。 - ミュージック・ボックス・チューン
編曲者ガスコインによると、これは彼があるミュージック・ボックス、つまりオルゴールから採譜したメロデイで、題名も何もわからないという。どなたか、心当りの方があればご一報を。 - 泣かないお前 (デ・クルティス)
ナポレターナの名作に数えられる1曲。「今宵、山なみはなんと美しいのだろう…この白い月光のヴェールのもとで、心はやるせなくお前を求める。泣いたことのないお前が、こうしてわたしを泣かせるのだ…」という嘆きぶしで、曲調もそれにふさわしい。エルネスト・デ ・クルティス (1875~1937)の作曲、この人にはほかに「帰れソレントへ」の名旋律がある。 - ウェイリー・ウェイリー (イングランド民謡)/シェナンドー (アメリカ民謡)
2曲のすこぶる美しいメロディが、大西洋越しにメドレーされる。どちらも伸びやかに抒情をこめて流れる旋律だし、歌詞には“水のかなたに恋人をしのぶという共通のテーマがあるので、両者が自然に結びついた、というところだろう。《ウェイリー・ウェイリー》 は英国の民謡研究に第一人者としての業績を挙げたセシル・シャープ(1859-1924)が、サマセット州で聴き、書きとめたもの。大家 B・ブリテンの編曲を通じてさらに名高くなった。そして《シェナンドー》は、USAの古い船乗り歌(シー・シャンティ)である。もとはミズリー河に働く水夫たちの歌で題名はインディアン酋長の名だという。そう言えば歌詞にも「…シェナンドーよ、おれはあんたの娘に恋をした…」云々と歌われている。
濱田滋郎
伴奏メンバー一覧
- クリス・テイラー – フルート、リコーダー、呼子笛
- クリス・ローレンス – コントラバス
- ゲーリー・ケットル – パーカッション
- クリス・カレン – パーカッション
- ブライアン・ガスコイン – マリンバとチェレスタ
- ポール・ハート – フィドル (ヴァイオリン)
- マリリン・サンソム – チェロ
- ジョン・リーチ – ツィンバロン(ハンガリー・ジプシ一の楽器、一種の大型ダルシマーで、両手に持ったバチにより金属弦を叩いて演奏)
- クラウディア・フィゲロ – アクアトロ (ベネズエラの小型ギター、4本の単弦を持つ。おもにかき鳴らして演奏) およびギター
- マウリシオ・ベネガス – チャランゴ (アンデス山地帯で用いられる小型ギターの一種、普通5対の複弦を張る。胴体は時に小動物アルマジロの甲羅て作る)
- ポール・ウェストウッド – ギタロン (メキシコ名物の楽隊マリアチで低音を受持つ大型ギター。とくに背部が大きくふくれあがっている)
- クリス・グラッドウェル – クラリネット
- リチャード・モーガン – オーボエ
- ニール・レヴェスリー – バスーン (ファゴット)
- ジェイムズ・ブラウン – ホルン
- レス・サッチャー – マンドリン
- パット・ハリング – ヴァイオリン
- エリック・ボウィー – ヴァイオリン
- ケネス・エセックス – ヴィオラ
- ブライアン・ホーキンス – ヴィオラ
- ピーター・ハリング – チェロ
- マイク・ブリテイン – コントラバス
YouTube のジョン・ウィリアムズ – トピックにこのアルバムもありますよ!!
「カタリ・カタリ」や「スカボロー・フェア」、「ウェイリー・ウェイリー (The Water is wide ですね)」「シェナンドー」は定番曲なので皆さんご存知かと思いますが、その他もいい曲ばかりですよ
自分としては「ラグル・タグル・ジプシーズ」、「さすらいよ・さらば」、「ベトロネラ / 聖パトリックの日 / プーアカーラン・ビーイェ」、「カルナバル」、「セイス・ボル・デレーチョ」などは特にお気に入りです
ぜひ聴いてみてくださいね!!


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